宝物殿のご案内

本殿向かって左側の建物が東長庁で宝物殿になります。
神社開設以来、歴史を重ねて来た収蔵品の数々が保管されています。

宝物

舞殿天井に描かれた126枚の花木蒔絵です。

本殿下陣の天井付近の扁額と枡組です。

猿田彦面
この面には「天文14年歴巳己2月吉日月露、願主田中但馬守橘氏謹奉納新宮王」と墨書してあり西暦1545年に奉納されたものです。

上から、
尉面(じょうめん)
姫面(ひめめん)
狂言面(きょうげんめん)
室町中期の作といわれ、九州では他に類がない逸品で、同種のものが日光二荒山神社に収蔵されている。
(鹿児島県重要有形文化財指定)
 
 

翁面
阿吽形相の二面が本殿下陣の柱に掛けられ、魔除けのために掲げられた物であろう。作風から江戸時代中期の作、作者不詳です。
 

三つ目鬼面
年代作者不詳、神楽で使われていたらしく、舞人先祖の氏子から返納されたものです。

御神輿
「寛文7年丁未4月吉日大工柳田六左衛門、年拾六歳ニ罷成物也」の文字が神輿前面の鴨居の裏に墨書してあり、西暦1667年に元服記念に奉納された逸品です。
現在でも、2年に一度の神幸祭に使用されています。

花瓶(唐銅製)
「往古より天智天皇皇州滋賀の都より御持下の由、申し伝う。」と記録にありますが、室町時代初期から中期の頃、志那又は朝鮮から渡来した物であろうと、昭和29年の薩摩古美術展に出品の折鑑定されたものであります。

棟札
弘化4年(西暦1847年)11月社殿造り替えの棟札で、藩主島津齋興公以下12名の官職氏名が記されています。

扁額
大明国嘉靖28年丁酉孟春如意珠日、梅崖書之、弘化4年丁未11月18日島津齊興公奉献の記録あり。
「『敵國降伏』と『降伏敵國』とは自他の別あり。敵国の降伏するは徳に由る、王者の業なり。敵國を降伏するは力に由る覇者の事なり。 『敵國降伏』而る後、始めて神威の赫々蕩々を看る。」福本日南の解釈。つまり、敵國が降伏する場合の降伏は自動詞、敵國が自ら降伏するという意味になりま すが、敵國を降伏させるという場合の降伏はいうまでもなく他動詞、敵國を武力でねじ伏せるという意味になるのです。従って「降伏敵國」というのは、武力で 天下を統一するという、所謂「覇者」の表現なのです。ところが「敵國降伏」というのは、敵國が我が国のすぐれた徳の力によって、おのずからに靡き、統一されるという「王道」の表現に外ならない。ここにこそ日本のすぐれた国柄が見事に現われている。

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